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ペットロス(うしお君が虹の橋を渡ってしまった)

投稿日:2013.07.10

4月9日以来3ケ月ぶりのトピックス記載になります。

実は、扇八郎紹介の欄と3月17日のトピックスに写真が載っている我が家の愛犬うしお君が4月10日に虹の橋を渡ってしまいました。それ以来、いわゆるペットロス症候群というものにおちいってしまい、苦しんでいました。すでに3ケ月が過ぎようとしている(今日10日が3回目の月命日です)のですが、いまだに思い出しては涙を流しています。このトピックスも泣きながら書いています。「たかだか犬が死んだくらいで」という人もいますが、そういう人はペットと一緒に暮らしたことがない人でしょう。かってに言わせておきます。

この3ケ月の間、家の中では「うしお」という言葉も出せず、写真も見れず、テレビのペット番組も見れず、道を歩いていても前から犬が歩いてくると横の道にまわって会わないようにし、犬から遠ざかり悲しんでだけいました。なんとか前に進もうと、今日はじめて「うしお」に写真を見て、トピックスに掲載したしだいです。

以前、トピックスに乗せた3月17日は動物病院の検査の結果、心臓僧帽弁の不全と診断され、余命は1年くらいとのことでした。最初の病院は自宅から少し遠かったのですが、家族が旅行などに行く時にあずかってもらっていたペットホテルの2階にあり、仮に「うしお」が病気になった時でも安心してあずけられるとの判断でした。しかし、獣医より「症状が重いので自宅からなるべく近い病院のほうがいい」とのアドバイスで近くの別の病院を紹介され、そちらで診てもらうことにしました。この病院でも「余命は1年くらい。でも、うしお君より症状が悪い子でも2年以上まだ生きている子もいる」との事で、すこし気が楽になりました。

僧帽弁の不全は8歳くらいから小型犬の8割くらいがなる病気だそうで、治療法はなく、心臓の負担を減らす薬を飲ませるだけで、心臓が肥大してしまうので、最後は肺水腫になり命を絶ってしまうとの事でした。

病院で薬をもらい飲ませ始めましたが、体調が良くなるどころか状態がみるみる悪くなり、4月10日の朝に病院で息を引き取りました。最後を看取れたのがせめてもの幸いでした。

前日の9日の夕方から「うしお」の息が早くなり始めたのですが、食欲もあり、翌日に病院に連れて行けば大丈夫だろうとその時には考えたのですが、用心したほうがいいと思い、夜9時過ぎに病院に行きました。レントゲンと撮ると肺に少し白い影が出ているとのことで入院させるかどうかの判断に迷ったのですが、いざという時には病院の方が安心たろうと入院させました。この時の判断が正しかったのかが後に私を苦しめる原因になります。

翌10日、朝7時57分、病院の担当獣医さんから、「うしおちゃんが自発呼吸していません。至急こちらに来てください」との電話で病院に駆け込みました。

治療室に入ると3人の獣医さんがいて、「うしお」の緊急治療をしていました。「うしお」は点滴などをして自発呼吸が出来るようになっていましたが、獣医さんが言うには「あとは強心剤でもたせるしかない」との事。これは最後通告です。私はこの後の延命治療を断り、左手を「うしお」の心臓に乗せて、その鼓動と心電計の数字が止まるの確認しました。

4月10日午前8時31分。「うしお」は虹の橋を渡りました。その後のことはあまり記憶にありません。

10歳を迎えられませんでした。あまりの急なことに私は頭が混乱し、いわゆるペットロスの状況です。2件の動物病院で言われた「余命1年」との診断はなんだったのでしょうか。「うしお」の最後を看取った病院は自分ところの患者であれば夜中でも診てくれますし、担当の獣医さんはよく対応してくれたと思いますが、日本の動物医療の遅れを感じた結末でした。欧米のそれに比べると何十年も遅れているとの事。そもそも獣医科というのは牛や馬を診るのが本来の医療で、犬やねこ(うさぎやハムスターなどは論外)は学ぶ機会がなかったそうです。近年になってようやく講義がおこなわれ始めたしだいで、動物に使用される薬は人間用のものが主です。法律上ではペットは「もの」であり、「人格ならぬ犬格や猫格」といったものではないのです。あくまでも「もの」ですから死んでしまえば「ゴミ」扱いになります。

今回は、こころの準備ができていない状態での結末でした。私の意思で生まれてきた子供であり(他人から買ってきたのではありません)、親友であり、戦友であり、癒しそのものであったのですから相当の打撃を受けたのは当然だと思ってください。

自宅ではもちろん、車の中でも、歩いていても、何をしていても泣いてばかりいました。この状況を乗り切るのには泣いて泣いて泣き尽くして時間が少しづつ解決してくれるのを待つしかないようです。以後、こんなことなら、ああしてやっていたら、こうしてやっていたら、もっとおいしいものを食べさせてあげておけば、もっと長く長く抱いていてやっていれば、との後悔ばかりです。入院させてしまったことにも。

でも、仕事業務には反映させませんので、鉄扇のクレームなど、ドシドシしてください。

いい年をした「おじさん」が人生の中で、ちょっと、いや、とても悲しい経験をしました。

 

 
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